依佐美送信所記念館
この施設について
依佐美と書いて「よさみ」と読む。愛知県刈谷市の地名。かつてここにあった送信所の機材とその業績を保存している施設である。
明治から大正にかけて、海外との情報伝達が飛躍的に増えたが、それを支えたのが2本の海底ケーブルであった。その所有は外国であり、日本独自の通信手段が必要となった。その当時、通信技術が発達してきたため、電波による情報伝達のための施設がつくられた。利用する電波は当時、長波(周波数30~300kHz、波長1~10km)の利用が進んでいたため、長波による送受信施設が建設され、その一つがこの依佐美送信所であった。
通信に必要な周波数17.442kHzは、電動発電機を組み合わせて5.814kHzを作り出し、それを3倍して規定周波数にしていたようである。
その電波を飛ばすアンテナを支えたのが記念館前にある支柱で、本来は250mあり、1958年に333mの東京タワーができるまでは日本一の高さを誇っていたそうである。1954年に竣工した名古屋テレビ塔の高さが180mなので、その高さがうかがえる。その250mの支柱が4本2列計8本がここに並んでおり、当時の刈谷市民の自慢だったそうである。
現在展示されている支柱は分解した土台部分25mである。とういうことは、この10倍の高さの支柱が並んでいたわけである。このアンテナを使い、おもにヨーロッパとの通信に活躍したそうである。
この施設が完成後ほどなく、海外との通信は電力を要しない短波の時代となってしまった。しかし、長波の特徴として水面下に届くという性質があり、水面下で行動する潜水艦との交信に用いられたようで、真珠湾攻撃の際、潜水艦への打電はこの施設が担当したようである。なお、電文自体はここまで有線で送られたものを送信するだけで、ここでキーをたたくことはなかったようである。
終戦後は米軍に接収され、その後1994年に返還された。保存も検討されたが、資金的な問題から、1997年に鉄塔を、2006年には建物が解体され、刈谷市の尽力でこの保存施設に機器の一部が保存されることとなった。資金のある刈谷市だからできたのだろう。ほかの市町村、ましてや愛知県であったら、この機械たちは日の目を見ずに解体されていたことであろう。敷地は払い下げられたが、敷地にはアース線が縦横無尽に設置され、その撤去に苦労したとのことである。
なお、土日祝日の10:00~12:00、13:00~15:00(7~9月は14:00~16:00)、依佐美送信所記念館ガイドボランティアの会のガイドさんによるガイドが行われているようである。
施 設 概 要
U R L | https://yosami-radio-ts.sakura.ne.jp/ 外部サイトにリダイレクトされます |
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住 所 | 刈谷市高須町石山2 |
電話番号 | 0566-29-4330 |
開館時間 | 9:00~17:00 |
休 館 日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日 |
アクセス | JR東海道本線・野田新町駅駅より徒歩30分 |
駐 車 場 | 無料駐車場あり。駐輪場あり。二輪車は普通車スペースに駐車。 |
入 場 料 | 無料 |
割引情報 | (無料) |
備 考 |
2025/07/24 update